亮月製作所*おたよりコーナー

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NonSubject  NAME:よたろう   
東京での写植展ご苦労様でした、伊藤さんと二人でスピカの印字体験拝見させて頂きました、伊藤さんの楽しそうにお客さんに写植の説明をしている姿、感動物でした、2日と7日にお邪魔して、沢山の写植屋さんや若い人達と意見交換させて頂きました今後もまた大変でしょうが、写植展を開催して頂ける事を期待しております、有料にしても十分見応えのある展示会だと思います、是非続けられる様お願いします。

No.798 DATE:2013/12/09(Mon) 20:39


ありがとうございました!  桂光亮月(管理人)    HomePage

「写植讃歌」、2回お越しいただいたようでありがとうございました。
伊藤さんの写植への熱い思いと行動力なしではできなかった写植展です。私も盛況ぶりを拝見していて嬉しくなりました。
年齢や写植の知識の有無に関係なく、多くの人が写植を通じて交流する貴重な場でしたね。
続けてほしいとおっしゃってくださって嬉しいです。今後また写植展が開かれる際には力添えさせていただきたいと思っています。

No.799 DATE:2013/12/10(Tue) 19:15


今は時効ですが  nasuka   

東中野の会社から一時的に見聞を広げようと(他の写植会社はどのような仕事をしているのか?)水道橋の会社に勤めた時がありました。ここは大手出版社の雑誌を写植・校正していたのですが、ある点が気になり退職しました。(その事以外にもありましたけど挙げたらキリがない) 最大の理由はメインプレートとサブプレートが汚ない事。早い話が煙草のヤニの煙が着いてしまっている事が要因でした。まぁ、部屋と機械の横に灰皿が置いてある時点で会社としては失格ですが。新参者の自分は気の弱い事が災いして言うことができませんでした。因みに壁も黄ばんでいましたね。

No.808 DATE:2014/03/20(Thu) 16:19


文字盤の汚れ  桂光亮月(管理人)    HomePage

nasukaさん、こんにちは。
文字盤の汚れ、気になりますよね。
煙草の好き嫌い以前に、光学機器のすぐ近くで常習的に喫煙するのは以ての外ですね。
写植業が全盛の頃は喫煙に対して寛容でしたし、景気も良かったですから道具を大切にすることなんて考えなくてもよかったのかもしれませんが、現在ではとても考えられない感覚ですよね。
当方で古い文字盤を譲り受けた時、煙草のヤニでねちゃねちゃになっていて苦しんだことがあります。印字に差し支えるので風呂場でよく洗いました……。

No.809 DATE:2014/03/22(Sat) 10:56


写植の収入  NAME:ひろみち   
と申しましても仕事内容によりまちまちですが昭和50年代後半、大学卒業後に職業訓練校を終えた私の場合は前述の機械で毎日11時ぐらいまで残業を行い、(勿論当時は日曜日と祭日のみの休み)手取りで月70万位ありました。しかし、全てを車につぎ込み、当時の貯えは皆無です。車もどこへやら(スカイライン2000GTRレストア車・箱型)……。 ちなみに現在は全く別の仕事を自営しておりますが結構順調です。

No.804 DATE:2014/02/14(Fri) 19:09


NonSubject  桂光亮月(管理人)    HomePage

ひろみちさん、こんばんは。
かつて写植オペレータはとても忙しいのと引き換えにかなり収入があったというのは本当のことだったのですね。
写植機メーカーの機関誌に名人オペレータが紹介されていて、愛車が高級外車などなどと書かれているのを読んで、史実だと分かっていても全く別の世界のことだと感じていました。
貴重かつ具体的なお話ありがとうございました!

No.805 DATE:2014/02/16(Sun) 22:26


給金の話(いくらだったかはヒミツです)  nasuka   

お久しぶりです。
あまり給金に関しては話をしたくないのですが、゛写研の写植学校゛から1ヶ月で写植と校正の技術を学びました。詰め込み式の教育実習でありましたが、今にしてみれば緊張感があり充実していました。卒業後は就職先も斡旋も比較的しっかりとしていたと思います。その後、以前書いた東中野の写植会社に入社し、手動機オペレーターとして従事しておりました。家族操業でやっていた会社のため他社と比較すると給金は低めだと思われますが、賞与はある時期まで(平成10年前位まで(不鮮明ですが))支給されてた記憶があります。
また、記憶が鮮明になって来た時に当時の話をメールしていきたいと思います。

No.806 DATE:2014/03/05(Wed) 15:25


写植オペレータの日々  桂光亮月(管理人)    HomePage

nasukaさん、こんばんは。
写植オペレータになるまで、そしてなってからのお話、ありがとうございます。
nasukaさんの所では割と最近まで(とは言っても十数年前ですが)賞与が支給されていたのですか。状況は会社や人によってそれぞれかと思いますが、職業人としての写植オペレータの日々がどのようなものであったかは書籍に記録されるようなものではないので、経験された方でないと分からないだけに、こうして語っていただけるのはとても貴重なことだと思います。
いつもありがとうございます。差し支えない範囲でもちろんかまいませんので、また教えていただけましたら幸いです。

No.807 DATE:2014/03/07(Fri) 19:50


ありがとうございます  NAME:ひろみち   
桂光亮月 様

ご返事ありがとうございました。これからもちょくちょく遊びに来ますので宜しくお願い致します。

No.802 DATE:2014/02/11(Tue) 13:56


どういたしまして。  桂光亮月(管理人)    HomePage

ひろみちさん、こちらこそありがとうございます。
また覗いていただけましたら嬉しいです!
今後ともよろしくお願いいたします。

No.803 DATE:2014/02/12(Wed) 21:40


写植!  NAME:ひろみち   
平成のこの時代にまだ「写植」を話題としたサイトがあったなんて驚きと感激でいっぱいです。かく申します私は、昭和50年代後半に東京の職業訓練校で半年間のコースで写植を学び、その後は「写植オペレーター」として数年間を経験しました。主として使用した機械は写研の「3RY」と、少し進化した「ジャック」と言う機械でした。残業も多くやりましたが、信じられない程収入があり、車につぎ込んでいた時代でもありました。懐かしいです。

No.800 DATE:2014/02/08(Sat) 17:37


まだまだ現役です!  桂光亮月(管理人)    HomePage

ひろみちさん、はじめまして。
私のサイトをご覧になって懐かしんでいただいてありがとうございます。
SK-3RYとPAVO-J(パボ・ジャック)といえば、機械式手動機の花形でしたよね。
写植のお蔭でビルが建ったとか、好きなものを買い放題だったとか、色々なお話を聞くことがあります。これから写植が更に発展していくという良い時期にご経験されたのですね。
写植は、今では僅かになってしまいましたがまだ印字している会社があります。私も現役で手動機を使っています。
これからも生きた写植を残していくために活動していきます。またご覧いただけましたら嬉しいです。

No.801 DATE:2014/02/10(Mon) 18:22


お得意様への通り道  NAME:nasuka   
以前書いた、出版社へ原稿を受け取りや届け出に行ってた時に末広通りがあり、そこに落語や漫才でお馴染みの「末広亭」を横目で見ながら目的地まで歩いたことがありました。
当時は独特な咄家が多く私自身、好きな咄家としては今は亡き゛春風亭柳昇゜師匠です。あのさわりの話かた、今の咄家では絶対真似の出来ないものでした。
また、末広亭の前にある本日の出演での勘亭流の味のある文字や朱色を付ける事による色物(奇術や漫談・コント等)も楽しみの一つでした。

No.796 DATE:2013/11/13(Wed) 09:44


NonSubject  桂光亮月(管理人)    HomePage

nasukaさん、ありがとうございます。
お仕事の道すがら落語を味わえたなんて素敵ですね。
またお仕事でのエピソードがありましたら教えてくださいませ。

No.797 DATE:2013/11/22(Fri) 18:24


以前、勤めていた写植屋(その2)  NAME:nasuka   
余りにも写植以外の話ばかりなので、今回は自分が携わっていた会社の話を少ししますね。
東中野にあった写植会社で主に入社当時から仕事としてやっていたのは、三流雑誌(ミコスリ)が多く新宿二丁目の出版社(察しの好い人はピンときたと思います)に原稿を取りに行ったりしてました。
原稿は主にエロで特太明朝体やナールDが主体で場面場面によって新書体(発売されたらすぐ購入)を使用し、好評ならドンドン使う。不評なら勿体無い目に合うこともしばしばでした。
使用級数はある場面()では62〜100Q、場合によっては拡大カメラを使い思いっきり級数を上げる指示もありました。
また、自分でPAVO(ブラウン管のついている)を使いJQレンズを使って、表紙作成したり、かなり好き放題なことをやっていた記憶があります。

(また今度は機会があれば同じ会社の別の話をしていきたいと思います)

No.794 DATE:2013/10/31(Thu) 01:30


腕の見せ所  桂光亮月(管理人)    HomePage

nasukaさん、いつもありがとうございます。
なかなか知ることができないジャンルの裏側のお話、興味深いですね。1980年代は様々な新書体が生まれ、手動写植機にも画面が付いて、より自由に相応しいものを探ることができるようになりましたね。見る側だけでなく作る側も文字での表現を楽しむことができたのではないでしょうか。
想像力をかき立てるための書体や組み方、今でも腕の見せ所ですね。

No.795 DATE:2013/11/06(Wed) 21:02

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